「共生の思想」 by 黒川紀章
2007.10.27 Saturday 21:19
先日急逝した建築家,黒川紀章が書いた「共生の思想~未来を生き抜くライフスタイル」が図書館にあったので読んでみた.この本は1985年,オイルショック後バブル前に書かれたものだが,その内容は現代でも決して古くなってはいない.
「共生の思想」では他者を排除するA or Bではなく,むしろ異質なものを取り込んでAでもありBでもあることを重視する.社会的には現在の一面的な価値観を押しつけず,歴史・背景の生み出す文化の多様性を理解して様々なものを受け入れていこう,と考える.
近代工業化社会にみる合理主義の生み出した画一性から情報化社会での魅力を生み出す多様性に考え方を転換する必要があると主張し,都市や建築のあり方について論じている.
「共生の思想」では他者を排除するA or Bではなく,むしろ異質なものを取り込んでAでもありBでもあることを重視する.社会的には現在の一面的な価値観を押しつけず,歴史・背景の生み出す文化の多様性を理解して様々なものを受け入れていこう,と考える.
近代工業化社会にみる合理主義の生み出した画一性から情報化社会での魅力を生み出す多様性に考え方を転換する必要があると主張し,都市や建築のあり方について論じている.
まずこの本で挙げられている2つの例を提示したいと思う.
1つめは谷崎潤一郎『陰影礼賛』からの引用箇所.派手な蒔絵などを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか文台とか棚とかがいかにもケバケバしく見えるものであっても,ろうそくの明かりのもとでは渋い重々しいものとなる.現代の明るい照明の下ではなく,それが作られた当時の照明の下で考えなくてはならない.(本文では多義性の例として引用している)
2つめはUAEの砂漠の中に作られたカリフォルニア住宅の話.遊牧民を定住させるためにアメリカの建築家に住宅を造らせたらカリフォルニアにあるようなものを設計した.しかし,40度にもなる砂漠ではコンクリートの家は熱を吸収しすぎて昼は灼熱,夜も蒸し暑く住めたものではない.遊牧民の使うテントは寒暖の差が激しい地上ではなく地中の温度を利用するように作られていて,昼は涼しく夜は暖かい.
なぜアメリカの建築家がそのような家を造ったか,その回答がふるっている.「最初からうまく住めるとは思っていないが,現在は発展途上国である国も将来は近代的な生活をするようになる.そのためには今のうちから近代的な生活になれておいた方がよい.」現在は遅れた生活をしている国々も最終的には先進国と同様の生活が当たり前になるという考え方,さらにいうと欧米の生活スタイル=進んだ生活,理想の生活という考え方に基づいているのだ.
本書では異質なものの「共生」として各種の視点から以下の章立てで論じている.
以下自分用メモ.
現代は「成長の思想」を背景とした理想像(イコン),スーパースターへのあこがれの社会から,等身大の他人を見て自分のアイデンティティを認識する社会へと変わっている.その中で社会構造も中央集権なツリー型からリゾーム,ホロン型へと変わっている.
リゾームとは根茎のことで,一方向に広がってゆくのではなく異質なものが順を飛び越えて結びあい,しかも流動的に変化しながら所々に球根を作って絡み合う.そこにはメインストリーム「幹」は存在しない.上意下達によるPureなものではなく,変化の中で異質なもの,ノイズをも飲み込んでゆく.
ホロンとはアーサー・ケストラーが提唱した概念で,部分と全体を同時に表す言葉である.全体は部分の和以上のもので,複雑な現象を構成要素に分解すると本質的なものが失われる,としている.
すなわち全体と個,中央と地方は対等な関係であり,そのためには一方を重視するとその後に逆方向に揺り戻す振り子現象を卒業しなくてはならない.
また,消費の対象が物質から象徴,情報,記号へと変化する.人と人との結びつきは,互いに普通の人であることで安心する社会から,情報を持つ人間を選ぶ時代となり,他の人と異なる情報を持つことこそが生き甲斐となるのである.
欧米では人種や所得によって居住地域が分かれていることが多い.また家の中でもリビングと寝室が分かれている.
それに対して,東京,さらにさかのぼれば江戸では様々な職業,様々な階級の人が同一のエリアに居住している.そして,和室は同じ場所をリビング,食堂,寝室と使い分けている.そのような中で階層,年代が異なる人々が助け合ってきた.
ところが日本でも(この本が書かれた当時の)最近の団地では価格,面積が同一だとほとんど同じ属性の人が入居してしまう現象が出ている.その先にあるのは共生ではなく競争になってしまう.
日本の森は自然のものなのに対してヨーロッパの森はは植樹されたものである.それが故に日本では森を守る意識が薄く林業が商業的に成り立たなくなった現在では森が危険な状態にある.また,都市圏が拡大するスプロール現象の急速な展開によって農地や山林が宅地化している.
江戸の町は現在よりも人口密度が倍以上高かったが,至る所に盆栽が並べられ,路地には朝顔や夕顔があり緑は比較的豊かだった.広場や森ではないが,その中に「象徴」としての自然を読み取っていたのである.元々日本の庭園は海を象徴する池,島を象徴する岩など「自然を感じるための虚構」で構成されている.
東京には人工的な森がある.明治神宮は75年前(現在からは95年前)に植樹によって作られたもの.
1つめは谷崎潤一郎『陰影礼賛』からの引用箇所.派手な蒔絵などを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか文台とか棚とかがいかにもケバケバしく見えるものであっても,ろうそくの明かりのもとでは渋い重々しいものとなる.現代の明るい照明の下ではなく,それが作られた当時の照明の下で考えなくてはならない.(本文では多義性の例として引用している)
2つめはUAEの砂漠の中に作られたカリフォルニア住宅の話.遊牧民を定住させるためにアメリカの建築家に住宅を造らせたらカリフォルニアにあるようなものを設計した.しかし,40度にもなる砂漠ではコンクリートの家は熱を吸収しすぎて昼は灼熱,夜も蒸し暑く住めたものではない.遊牧民の使うテントは寒暖の差が激しい地上ではなく地中の温度を利用するように作られていて,昼は涼しく夜は暖かい.
なぜアメリカの建築家がそのような家を造ったか,その回答がふるっている.「最初からうまく住めるとは思っていないが,現在は発展途上国である国も将来は近代的な生活をするようになる.そのためには今のうちから近代的な生活になれておいた方がよい.」現在は遅れた生活をしている国々も最終的には先進国と同様の生活が当たり前になるという考え方,さらにいうと欧米の生活スタイル=進んだ生活,理想の生活という考え方に基づいているのだ.
本書では異質なものの「共生」として各種の視点から以下の章立てで論じている.
0 プロローグ―なぜ、いま共生の思想なのか東京では大規模な再開発がいくつも進められているが,本書を読んでから出かけるとその意味を理解できるのかもしれない.
1 花数寄―共生の美意識
2 近代主義を超えて―分離主義と2元論を包み込む視点
3 共生の時代のプレテクスト―大江戸
4 利休ねずみ/バロック/キャンプ―曖昧性と両義性
5 砂漠の実験都市―異種文化との共生あるいは歴史と未来の共生
6 道の思想と中間領域―対立する2項の共生
7 唯識思想と共生―阿頼耶識/無覆無記
8 自然と人間の共生―森の復元
9 からくりの思想―技術と人間の共生、他の生命体との共生
10 ポストモダンから共生へ―聖・俗・遊の“通底器”都市
11 東京大改造計画―再生と開発の共生
エピローグ 渇愛と無明からの解脱
以下自分用メモ.
ポストモダンな社会
現代は「成長の思想」を背景とした理想像(イコン),スーパースターへのあこがれの社会から,等身大の他人を見て自分のアイデンティティを認識する社会へと変わっている.その中で社会構造も中央集権なツリー型からリゾーム,ホロン型へと変わっている.
リゾームとは根茎のことで,一方向に広がってゆくのではなく異質なものが順を飛び越えて結びあい,しかも流動的に変化しながら所々に球根を作って絡み合う.そこにはメインストリーム「幹」は存在しない.上意下達によるPureなものではなく,変化の中で異質なもの,ノイズをも飲み込んでゆく.
ホロンとはアーサー・ケストラーが提唱した概念で,部分と全体を同時に表す言葉である.全体は部分の和以上のもので,複雑な現象を構成要素に分解すると本質的なものが失われる,としている.
すなわち全体と個,中央と地方は対等な関係であり,そのためには一方を重視するとその後に逆方向に揺り戻す振り子現象を卒業しなくてはならない.
また,消費の対象が物質から象徴,情報,記号へと変化する.人と人との結びつきは,互いに普通の人であることで安心する社会から,情報を持つ人間を選ぶ時代となり,他の人と異なる情報を持つことこそが生き甲斐となるのである.
機能分離
欧米では人種や所得によって居住地域が分かれていることが多い.また家の中でもリビングと寝室が分かれている.
それに対して,東京,さらにさかのぼれば江戸では様々な職業,様々な階級の人が同一のエリアに居住している.そして,和室は同じ場所をリビング,食堂,寝室と使い分けている.そのような中で階層,年代が異なる人々が助け合ってきた.
ところが日本でも(この本が書かれた当時の)最近の団地では価格,面積が同一だとほとんど同じ属性の人が入居してしまう現象が出ている.その先にあるのは共生ではなく競争になってしまう.
自然との関わり
日本の森は自然のものなのに対してヨーロッパの森はは植樹されたものである.それが故に日本では森を守る意識が薄く林業が商業的に成り立たなくなった現在では森が危険な状態にある.また,都市圏が拡大するスプロール現象の急速な展開によって農地や山林が宅地化している.
江戸の町は現在よりも人口密度が倍以上高かったが,至る所に盆栽が並べられ,路地には朝顔や夕顔があり緑は比較的豊かだった.広場や森ではないが,その中に「象徴」としての自然を読み取っていたのである.元々日本の庭園は海を象徴する池,島を象徴する岩など「自然を感じるための虚構」で構成されている.
東京には人工的な森がある.明治神宮は75年前(現在からは95年前)に植樹によって作られたもの.
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