The world is flat
2008.05.20 Tuesday 21:22
図書館で借りた「フラット化する世界」の下巻だけとりあえず読んだ.内容としてはしばらく前に読んだ大前研一の「新・経済原論」に近い感じ.
(まだ読んでいない)上巻ではどのようにして世界がflatになったかについて,下巻ではその中で社会と人々の生活がどのように変わり,また何をしなくてはならないかが書かれている.
(まだ読んでいない)上巻ではどのようにして世界がflatになったかについて,下巻ではその中で社会と人々の生活がどのように変わり,また何をしなくてはならないかが書かれている.
従来から製造業においては人件費の安い国へ工場が移転されて現在では中国が大きな地位を占めている.しかし情報の伝わる速度が速くなった現在ではミドルクラスの仕事も脅かされている.
デジタル化,オートメーション化,アウトソーシング可能な物はいずれコストの安いところへ流れてしまう.それだけではない.生活水準の低い国へアウトソースした方が品質が上がるとのこと.なぜなら同一賃金であれば労働者の「質」が異なるからだ.
「デジタル化」の例として先頭に出てくるのはこんな話:
かつてはポラロイドで確認し,フィルムカメラで撮影して現像所に出していた写真家.現像して初めて確認できる世界では「信頼」が重要な要素であった.しかし,デジタルカメラでは失敗に後から気づくリスクが少なくなって,よりレベルが低い写真家とのコスト競争に巻き込まれ,また現像の変わりのレタッチを(追加費用無しで)自らやらなくてはならなくなった.
オートメーション化は製造業のことを指していて,DELLのコンピュータが筆者に届くまでの道筋を使ってGlobal Supply Chainについてまとめている.
アウトソースの例としてはインドのコールセンター,会計士の話が出てくる.特に,会計士のように事務作業の中でも外に切り出せるところだけをインドに任せることが行われている.他には図面の電子化,資料作成など.
この荒波に飲まれない方法がいくつか挙げられている.
- 地場に密着した仕事
- 一人一人のニーズに合わせた仕事
- 適応・変化し続けること.
フラットな世界の教育について,「学ぶ方法を学ぶ」こと,CQ(Curiosity)とPQ(Passion)が重要で,デジタル化されない「右脳」による感性が重要.しかし,アメリカでは夢を追わず,地道な努力よりも派手な立ち回りが好まれるようになっており,教育には静かな危機が迫っている.
本の内容はこれくらいにしてグローバリゼーションについて最近感じたこと二点ほど.
[一つ目: アウトソーシング]
10年前にアメリカ西海岸の会社に出張したとき,写真の大部分は中国人とインド人だった.そして仕事は中国に出されていて,その中国の会社はアメリカの会社にいる人と血縁関係にあるという話を聞いた.新興国が注目されるようになるずっと前からアメリカには中国やインドの人がいたわけで,そういう人がパイプ役を果たしていると考えるとなんとなく納得がいく.逆にいえば,そういう背景がないままにコストだけを見て「そらっ,インドだ,中国だ」と言ってもなかなか難しいのかもしれない.
[二つ目: テレビ電話]
上巻の最初の方に「リモート家庭教師」が出てくる.これはインド人がテレビ電話で家庭教師をつとめると言うもの.これは(国内でも)結構使えそう.先日購入したカメラでSkypeのビデオチャットを試したが,かなり画質が良い.顔だけでなく何でも映せるので色々と応用が利く.唯一の不満はCPU使用率が(Athlon 64 x2にもかかわらず) 70%を超えて他のアプリが動きにくくなってしまうこと.
話を戻す.WebExという全世界的なWebテレビ会議サービスがある.そこで驚いたのが「アプリケーション」に"Sales"と言うのが含まれていること.この本でもインドの会社がアメリカの会社に対してテレビ会議を使ってサービスを売り込むことができると書かれていた.お客さんのところへ出向かずにテレビ会議で説明するというのは今や普通なのだろうか.
というか,日本が遅れている,というよりは時間をあまり大事にしないと考えた方が良いのか.
Comments