「断絶の時代」 その1
2009.03.07 Saturday 12:08
P.F.ドラッカー「断絶の時代」が最初に出版されたのは1968年.つまり昭和43年(だとATOKが教えてくれた).当時の社会と歴史を検証し,その後の時代を断絶(discontinuity),すなわち新しい産業が生まれ,発展していく時代と見通している.現在まさにこの通りのことが起こっていると感じる内容もあれば,逆に現在のトピックが40年前から変わらず続いているものもある.
全体を一言でまとめるのは難しいので,気になった部分にフォーカスして思い浮かんだことを書いてみたいと思う.
全体を一言でまとめるのは難しいので,気になった部分にフォーカスして思い浮かんだことを書いてみたいと思う.
『第一部 起業家の時代』では姿を現しつつある新産業として次の4つが挙げられている.
最初のトピックである情報産業の項ではコンピュータを発電所になぞらえて,次のように書いている.
執筆当時はコンピュータと言えば大型計算機を意味する時代であったが,マイクロコンピュータの登場によって高性能なコンピュータを個人で所有できるようになったのが今日である.上の記述からタイムシェアリングを超えて最近のウェブアプリケーションやSaaSを思い浮かべるかもしれないが,ここは本質ではない.
もう少し先を見ると次のような記述がある.
コンピュータが発電所ということは,送電線に当たるのはネットワークだ.電気の来ていないアフリカの国々では,自動車用バッテリーを持ち込んで電気を使う光景が見られる(らしい).コンピュータを使ってネットワークを使っていない時代はまさにこのような状態であったのだと思う.
では,コンピュータがネットワーク化されて電子的に情報がやりとりできるようになった今ではすべて解決かというと必ずしもそうは言えないと思う.というのは「ファイル」というコンセプトが今も主流を占めているからだ.
メモリもディスクも物理的には広がりを持った記憶要素の並びであり,それをまず論理的に1次元に展開した上で適当な大きさに区切り,さらにその区切りをまとめるための管理領域を付与したものが「ファイルシステム」である.
ファイルを情報要素として考えればディスクが蓄電池に相当するように思えるが,実際には情報要素はファイルより小さい.ファイルは情報を組み合わせたパッケージ,すなわち「編集物」であり,要素を組み合わせることで別の見せ方をすることもできる.
そうすると情報をファイルから切り離して要素単位で取り扱う方が情報の活用という面では都合が良く,URLを使って情報要素を指し示すことがその解決になるのではないか.インターネットを基準に考えればこの話はかなり解決されていると思うのだけど,実際の仕事では変わっていない.(少なくとも自分の周りでは)
なんかだいぶ話がそれたが,ある情報をまとまった形で提示するとき,そのソースが明らかになっていれば提示された側も判断を行いやすい.しかし,それが別のファイルの一部分だと,そこにアクセスするのが結構手間なのだ.という話が背景にあってドラッカーはあんまり関係ない.というか本を読んだときから時間が経って考えがだいぶ先に進んでしまったので,まとまらなくなってしまった.(「思い浮かんだこと」を書くと最初に宣言しているので,これでもいいか.)
コンピュータを超える情報産業
資源の宝庫としての海洋開発
産業構造を変える素材産業
創造的解決を必要とする巨大都市の再開発
最初のトピックである情報産業の項ではコンピュータを発電所になぞらえて,次のように書いている.
今日,自前の発電機を持つ工場がほとんど無いように,20年後には,自前の大型コンピュータを持つ会社はなくなる.わずか60年前,電気を必要とする工場は,自前の発電機を持たなければならなかった.今日では,電力は電力会社からタイム・シェアリングによって手にはいるようになる
執筆当時はコンピュータと言えば大型計算機を意味する時代であったが,マイクロコンピュータの登場によって高性能なコンピュータを個人で所有できるようになったのが今日である.上の記述からタイムシェアリングを超えて最近のウェブアプリケーションやSaaSを思い浮かべるかもしれないが,ここは本質ではない.
もう少し先を見ると次のような記述がある.
コンピュータが現れなかったならば,情報とはエネルギーの一種であると言うことは理解されなかったであろう.電気は,機械仕事のための,最も安く,最も豊富で,もっとも使いやすいエネルギーである.これに対し,情報は,頭の仕事に必要なエネルギーである.
コンピュータが発電所ということは,送電線に当たるのはネットワークだ.電気の来ていないアフリカの国々では,自動車用バッテリーを持ち込んで電気を使う光景が見られる(らしい).コンピュータを使ってネットワークを使っていない時代はまさにこのような状態であったのだと思う.
では,コンピュータがネットワーク化されて電子的に情報がやりとりできるようになった今ではすべて解決かというと必ずしもそうは言えないと思う.というのは「ファイル」というコンセプトが今も主流を占めているからだ.
メモリもディスクも物理的には広がりを持った記憶要素の並びであり,それをまず論理的に1次元に展開した上で適当な大きさに区切り,さらにその区切りをまとめるための管理領域を付与したものが「ファイルシステム」である.
ファイルを情報要素として考えればディスクが蓄電池に相当するように思えるが,実際には情報要素はファイルより小さい.ファイルは情報を組み合わせたパッケージ,すなわち「編集物」であり,要素を組み合わせることで別の見せ方をすることもできる.
そうすると情報をファイルから切り離して要素単位で取り扱う方が情報の活用という面では都合が良く,URLを使って情報要素を指し示すことがその解決になるのではないか.インターネットを基準に考えればこの話はかなり解決されていると思うのだけど,実際の仕事では変わっていない.(少なくとも自分の周りでは)
なんかだいぶ話がそれたが,ある情報をまとまった形で提示するとき,そのソースが明らかになっていれば提示された側も判断を行いやすい.しかし,それが別のファイルの一部分だと,そこにアクセスするのが結構手間なのだ.という話が背景にあってドラッカーはあんまり関係ない.というか本を読んだときから時間が経って考えがだいぶ先に進んでしまったので,まとまらなくなってしまった.(「思い浮かんだこと」を書くと最初に宣言しているので,これでもいいか.)
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