エルサレム
2008.10.11 Saturday 20:00
今日はエルサレムのバスツアー.4時間ほど歩くというのでひからびてしまうのではないかと思っていたが,嘆きの壁の後はマーケットを通ったり教会を見たりする部分が多かったので,直射日光の下を歩く時間はそれほど長くはなかった.ただ,それでも持っていった水は1リットルくらい飲んでしまった.
とりあえず例によって写真だけはたくさんあるのでスライドショーで.
直接申し込んでないのでどうなっているのかよくわからないが,内容はBEIN HARIM旅行社のツアーだった.
それぞれのホテルで客を拾ってから,一路高速1号線を走ってエルサレムへ.ツアーに参加した客は日本,フィリピン,台湾,メキシコ,ブラジル,フランス,アメリカと各国の旅行者が集まってなんとも国際色豊かな集団となっていた.しかし,その中で聖書を読んでなくて聖地巡礼のうまみがわかってないのはたぶん日本人だけだろう.(台湾人もそうかな?)
自分は聖書を読んだことは当然無く,ガイドブックもろくに読まずに行ったので話しについて行けないところが多々あった.ゴルゴタ,ゴルゴタってなんか聞いたような地名だなぁと思っていたけどキリストが磔になった場所だって言ってくれよぉ...(常識か...) その下の階(というか磔になった場所が階上にある)の平らな岩(みんな手をついたり頭をついたりして祈っていた)がキリストが死んだ後置かれた場所らしい.体を香水で拭いたとのことだ.教会内も香水の香りが漂っていた.
先にこの場所の話をすると,奥の方に続く教会があるのだがそこの文字がヘブライでもなくギリシャでもアルファベットでもキリル文字でもないのが気になった.なんか昔の言葉か?と思ってとりあえず写真だけ撮ってきたのだがガイドが“アルメニアン”と言ったのを思い出し,はっと気がついた.そうか,アルメニア語か.本屋でヘブライ語の本を手に取ったとき2冊左にあったので開いてみた,あのアルメニア語の文字と言われればそれっぽい.丸っこく書かれていたが縦線を中心として上下が丸まったり右や下に突き出ていたりという特徴はどうもそれらしい.ちなみにアルメニア語はインド・ヨーロッパ語族に属し,ヨーロッパともロシアとも異なる孤立した流れに属し,38文字(それぞれに大文字・小文字あり)の独自の文字を持つ.
ゴルゴタの丘は石切場となり,良い石を切り出した後に教会が造られ,品質の悪い岩の部分はそのまま残されている.
ところで「イエス・キリストが◎×△した/された場所」は「太宰治が通っていた店」や「ドラマ『すずらん』で撮影に使われた駅」とか,はたまた「『耳をすませば』で出てきた坂」とは知名度以外に違いがあるのだろうか.「聖地巡礼」で前者を経験することで,後者が同じ名前で呼ばれていることの納得がいった感じ.
話は最初に戻る.集合は朝7時15分.前回はバスが1時間遅れたと聞いて「勘弁して~」と思ったが,今回は10分もしないうちに迎えのバスがやってきた.バスターミナルで別の小さなミニバスに乗り換えて出発
ガイド兼運転手が車の中でも車窓から見える様々な物にコメントしていくが,走行中なので写真に収めるのはちょっと難しい.高速道路から見えるRamlaに化学工場のプラントが見えた時はちょっとイスラエルのイメージとは異なっていて驚いた.
高速を降りるとエルサレム市街に入る.新市街は普通の街と変わらない感じだが,新しい建築物もすべて土色で作られている点が特徴的.おそらく景観規制があるのだろう.
シェラトンで追加の客を乗せている間にトイレ休憩.シェラトンのトイレで記念撮影.この後いよいよエルサレムツアーの始まりとなる.
最初に旧市街を眺める丘で写真を撮った後,再度車で旧市街近くの駐車場へ移動.Zion Gateから中に入りユダヤ人居住区を通過して嘆きの壁へ向かう.
本日はシャバトでユダヤ教では電子機器を扱うことができないために嘆きの壁での写真撮影は禁止されており,遠景を撮影するのみにとどまった.嘆きの壁は超有名な場所だけあって入り口での持ち物チェックが行われ,至る所で警察が警備している.
祈りの場所は男女が別々となっており,帽子がない人は壁に近づくためにユダヤの帽子(ボール紙で作った物)を頭に載せなくてはならない.壁の前には机と椅子が並べられており,机の上には聖書が置かれている.日本の初詣のように前の人が祈ったら次の人に場所を譲るような仕組みではなく,壁の前で椅子に座り聖書を開いて読んでいる人もいた.
また,黒いスーツにシルクハットという出で立ちの人も結構いて,彼らは『超正統派』なのだそうだ.
また,祈りを書いた紙を壁に挟むという話も聞いたが,壁を構成する岩はかなり大きく,かつ均質に積まれているために挟める場所はかなり限られている.元々神殿の壁だったところに紙を挟んでどうするんだか..とか突っ込んではいけないのだろう.
嘆きの壁と呼ばれている部分は神殿の手前の200mにすぎず,ゲートを越えた向こう側に500mに渡って続いている.そこでゲートを越えて進んでいくとムスリム街に入る.アメ横ではないが狭い通路の両側に所狭しと商店が並んでいて,ほとんどがアラビア語.また歩く人も女性が顔以外を覆っている姿が普通である.ここでもかなりの警察官及び軍の人が警備に当たっていた.
ガイドに引率されて歩いていくのだが,所々で曲がったり,上ったりしてまるで迷路のようである.しかも周りはアラビア人で持ち物に気をつけろと言われており,ガイド無しでは到底通り抜けられそうにない感じであった.
そんなイスラム街の途中に教会があったりするのを見ながらキリスト教徒エリアに入り,エジプトの教会の前を通って聖墳墓教会へ出る.なーんて,何もわかっていないいい加減な解説を読むよりも こちらのページから順に読んでもらった方がためになる.ここに書かれているStationsの#7-#14を本日たどったのだが,それがイエスが歩いた道とは全然知らずに「ムスリム街こぇ~」とか思っていた自分にはまさに猫に小判.(知らないと言うことは恐ろしいことなのねぇ...)
というわけで,上のリンクを読めば旧市街の話はほとんどわかってしまうので話は昼食までジャンプ.昼食はピタ.ファラフェル(ミニ豆コロッケ)が27NIS, 鶏肉が47NIS.店の人が「ベジタリアン?」と言ったので「はて?」と思ったのだが,確かにファラフェルは中が豆なのでベジタリアン食である.そして出てきたコーラは何故かアラビア語.ヘブライ語でない辺りが世の中の複雑さを感じさせる.
昼食の後はツアーのお約束である買い物タイム.案内された店はキリストグッズで埋め尽くされていた.証明書付きの盾みたいなものからネックレス,ペンダント,アクセサリ等々があり,しかも価格がドル表示で結構高い.小物でも$10くらい.それでも同じツアーの他の国の人は友達用とか結構買っていて,クリスマスプレゼント用に包装して欲しいと言っている人もいたが,キリシタンが周囲にいない自分にとっては渡す相手も思いつかず華麗にスルー.
<外で待っているとブレスレットを売る謎の親父がうろうろして,一人一人に話しかけている.面倒なことは嫌いなので無視していたのだが,他の人は結構おもしろがって13NISとか20NISとか適当に交渉したりふっかけられたりしていた.
この後はヘブライ語のマーケットを抜けて一旦階上へ上がり,これまで回ってきた建物を上から復習.そして最初に入ったZION門から外に出てシナゴーグへ.その途中ふと見ると,ブレスレットを売っていた親父がまたそこにいてびっくり.いっ,いつのまに移動したんだ~!!
その後のシナゴーグは同じ場所にZIONシナゴーグ,その上に最後の晩餐のテーブル,そして同じ場所を振り返るとモスクと時代によって異なる宗教がその一を占めていた複雑な背景がある場所,だそうだ.(シナゴーグは後から発掘されたとのこと)
この時点で5時間歩いていたが,車で移動して最後の聖堂へ.オリーブの庭に隣接するその教会もコメントはパス.(名前も調べないとわからない...)
帰りは行きとは異なる道路を通って帰ることに.おそらく北の外れを回るコースで左側にはエルサレムが,そして右側にはパレスチナ自治区(West Bank/ヨルダン川西岸地区)との境界となる塀&フェンスが続く.
よくわからなかったので勉強してからもう一回行くか...と言っても5時間歩くのは結構疲れる.翌朝妙に疲れが出てきたのは気のせいではないはず.
[お願い] フォト蔵はコメント数によって転送可能量の上限が増えるので,気に入った写真・気になる写真があったら写真をクリックした先のページでコメント書き込みお願いします.
直接申し込んでないのでどうなっているのかよくわからないが,内容はBEIN HARIM旅行社のツアーだった.
それぞれのホテルで客を拾ってから,一路高速1号線を走ってエルサレムへ.ツアーに参加した客は日本,フィリピン,台湾,メキシコ,ブラジル,フランス,アメリカと各国の旅行者が集まってなんとも国際色豊かな集団となっていた.しかし,その中で聖書を読んでなくて聖地巡礼のうまみがわかってないのはたぶん日本人だけだろう.(台湾人もそうかな?)
自分は聖書を読んだことは当然無く,ガイドブックもろくに読まずに行ったので話しについて行けないところが多々あった.ゴルゴタ,ゴルゴタってなんか聞いたような地名だなぁと思っていたけどキリストが磔になった場所だって言ってくれよぉ...(常識か...) その下の階(というか磔になった場所が階上にある)の平らな岩(みんな手をついたり頭をついたりして祈っていた)がキリストが死んだ後置かれた場所らしい.体を香水で拭いたとのことだ.教会内も香水の香りが漂っていた.
先にこの場所の話をすると,奥の方に続く教会があるのだがそこの文字がヘブライでもなくギリシャでもアルファベットでもキリル文字でもないのが気になった.なんか昔の言葉か?と思ってとりあえず写真だけ撮ってきたのだがガイドが“アルメニアン”と言ったのを思い出し,はっと気がついた.そうか,アルメニア語か.本屋でヘブライ語の本を手に取ったとき2冊左にあったので開いてみた,あのアルメニア語の文字と言われればそれっぽい.丸っこく書かれていたが縦線を中心として上下が丸まったり右や下に突き出ていたりという特徴はどうもそれらしい.ちなみにアルメニア語はインド・ヨーロッパ語族に属し,ヨーロッパともロシアとも異なる孤立した流れに属し,38文字(それぞれに大文字・小文字あり)の独自の文字を持つ.
ゴルゴタの丘は石切場となり,良い石を切り出した後に教会が造られ,品質の悪い岩の部分はそのまま残されている.
ところで「イエス・キリストが◎×△した/された場所」は「太宰治が通っていた店」や「ドラマ『すずらん』で撮影に使われた駅」とか,はたまた「『耳をすませば』で出てきた坂」とは知名度以外に違いがあるのだろうか.「聖地巡礼」で前者を経験することで,後者が同じ名前で呼ばれていることの納得がいった感じ.
話は最初に戻る.集合は朝7時15分.前回はバスが1時間遅れたと聞いて「勘弁して~」と思ったが,今回は10分もしないうちに迎えのバスがやってきた.バスターミナルで別の小さなミニバスに乗り換えて出発
ガイド兼運転手が車の中でも車窓から見える様々な物にコメントしていくが,走行中なので写真に収めるのはちょっと難しい.高速道路から見えるRamlaに化学工場のプラントが見えた時はちょっとイスラエルのイメージとは異なっていて驚いた.
高速を降りるとエルサレム市街に入る.新市街は普通の街と変わらない感じだが,新しい建築物もすべて土色で作られている点が特徴的.おそらく景観規制があるのだろう.
シェラトンで追加の客を乗せている間にトイレ休憩.シェラトンのトイレで記念撮影.この後いよいよエルサレムツアーの始まりとなる.
最初に旧市街を眺める丘で写真を撮った後,再度車で旧市街近くの駐車場へ移動.Zion Gateから中に入りユダヤ人居住区を通過して嘆きの壁へ向かう.
本日はシャバトでユダヤ教では電子機器を扱うことができないために嘆きの壁での写真撮影は禁止されており,遠景を撮影するのみにとどまった.嘆きの壁は超有名な場所だけあって入り口での持ち物チェックが行われ,至る所で警察が警備している.
祈りの場所は男女が別々となっており,帽子がない人は壁に近づくためにユダヤの帽子(ボール紙で作った物)を頭に載せなくてはならない.壁の前には机と椅子が並べられており,机の上には聖書が置かれている.日本の初詣のように前の人が祈ったら次の人に場所を譲るような仕組みではなく,壁の前で椅子に座り聖書を開いて読んでいる人もいた.
また,黒いスーツにシルクハットという出で立ちの人も結構いて,彼らは『超正統派』なのだそうだ.
また,祈りを書いた紙を壁に挟むという話も聞いたが,壁を構成する岩はかなり大きく,かつ均質に積まれているために挟める場所はかなり限られている.元々神殿の壁だったところに紙を挟んでどうするんだか..とか突っ込んではいけないのだろう.
嘆きの壁と呼ばれている部分は神殿の手前の200mにすぎず,ゲートを越えた向こう側に500mに渡って続いている.そこでゲートを越えて進んでいくとムスリム街に入る.アメ横ではないが狭い通路の両側に所狭しと商店が並んでいて,ほとんどがアラビア語.また歩く人も女性が顔以外を覆っている姿が普通である.ここでもかなりの警察官及び軍の人が警備に当たっていた.
ガイドに引率されて歩いていくのだが,所々で曲がったり,上ったりしてまるで迷路のようである.しかも周りはアラビア人で持ち物に気をつけろと言われており,ガイド無しでは到底通り抜けられそうにない感じであった.
そんなイスラム街の途中に教会があったりするのを見ながらキリスト教徒エリアに入り,エジプトの教会の前を通って聖墳墓教会へ出る.なーんて,何もわかっていないいい加減な解説を読むよりも こちらのページから順に読んでもらった方がためになる.ここに書かれているStationsの#7-#14を本日たどったのだが,それがイエスが歩いた道とは全然知らずに「ムスリム街こぇ~」とか思っていた自分にはまさに猫に小判.(知らないと言うことは恐ろしいことなのねぇ...)
というわけで,上のリンクを読めば旧市街の話はほとんどわかってしまうので話は昼食までジャンプ.昼食はピタ.ファラフェル(ミニ豆コロッケ)が27NIS, 鶏肉が47NIS.店の人が「ベジタリアン?」と言ったので「はて?」と思ったのだが,確かにファラフェルは中が豆なのでベジタリアン食である.そして出てきたコーラは何故かアラビア語.ヘブライ語でない辺りが世の中の複雑さを感じさせる.
昼食の後はツアーのお約束である買い物タイム.案内された店はキリストグッズで埋め尽くされていた.証明書付きの盾みたいなものからネックレス,ペンダント,アクセサリ等々があり,しかも価格がドル表示で結構高い.小物でも$10くらい.それでも同じツアーの他の国の人は友達用とか結構買っていて,クリスマスプレゼント用に包装して欲しいと言っている人もいたが,キリシタンが周囲にいない自分にとっては渡す相手も思いつかず華麗にスルー.
<外で待っているとブレスレットを売る謎の親父がうろうろして,一人一人に話しかけている.面倒なことは嫌いなので無視していたのだが,他の人は結構おもしろがって13NISとか20NISとか適当に交渉したりふっかけられたりしていた.
この後はヘブライ語のマーケットを抜けて一旦階上へ上がり,これまで回ってきた建物を上から復習.そして最初に入ったZION門から外に出てシナゴーグへ.その途中ふと見ると,ブレスレットを売っていた親父がまたそこにいてびっくり.いっ,いつのまに移動したんだ~!!
その後のシナゴーグは同じ場所にZIONシナゴーグ,その上に最後の晩餐のテーブル,そして同じ場所を振り返るとモスクと時代によって異なる宗教がその一を占めていた複雑な背景がある場所,だそうだ.(シナゴーグは後から発掘されたとのこと)
この時点で5時間歩いていたが,車で移動して最後の聖堂へ.オリーブの庭に隣接するその教会もコメントはパス.(名前も調べないとわからない...)
帰りは行きとは異なる道路を通って帰ることに.おそらく北の外れを回るコースで左側にはエルサレムが,そして右側にはパレスチナ自治区(West Bank/ヨルダン川西岸地区)との境界となる塀&フェンスが続く.
よくわからなかったので勉強してからもう一回行くか...と言っても5時間歩くのは結構疲れる.翌朝妙に疲れが出てきたのは気のせいではないはず.
Comments