音楽におけるFSF.機能的Alternativeは成立するか
2007.05.07 Monday 23:26
北海道新聞の記者のコラム「これ、「引用」じゃないんですか…あれ?」のコメントの中に[引用した物が読者に対して何らかの効果を及ぼすならそれはBGMを流すのと同様「使用」だ」という意見があり,確かに「自分の心を直接言葉にする代わりに既存のフレーズを持ってきたらそれは引用ではなく使用かも」と妙に納得しつつ,やっぱり理不尽なルールだなと思ったことは本題ではない.
ソフトウェアでFSF,GNU Softwareがあるように,楽曲にも機能面に焦点を当てたAlternativeを提供する人が現れないのだろうか.(自分は無理だけど).そうすればこのような理不尽なルールから解放されるのに.
ソフトウェアでFSF,GNU Softwareがあるように,楽曲にも機能面に焦点を当てたAlternativeを提供する人が現れないのだろうか.(自分は無理だけど).そうすればこのような理不尽なルールから解放されるのに.
以前楽天の三木谷社長がGyaoの対談において,テレビの効果の1つに「共有」があると言ったことを思い出す.番組提供者と視聴者という関係だけでなく番組を絆に視聴者と視聴者のつながりが重要である点に触れており,Webで特定の楽曲を話題にするのは正にこの点にあるのだと思う.しかしJASRACのダウンロード一回5.5円という価格設定は権利者と使用者の1:1の関係しか念頭に置いてないように思える.
ところで,この構造は市販ソフトウェアのかかえる状況と似ているところがある.例えばMicrosoft Excelにいくら感銘を受けたとしても,それを自分のホームページからダウンロードさせるのはライセンス違反だ.ダウンロードと歌詞では違いすぎるというなら,自分のソフトの一部としてMS Excelを配布することを考えてもらえれば多少は近い状況になるだろう.自分の文章の間に楽曲の歌詞を入れることを自分のプログラムの間にMS Excelを入れることに置き換えてイメージしてみて欲しい.
だが幸いなことにソフトウェアでは市販ソフトに近い機能を持つフリーソフトウェアが台頭してきている.例えば上で挙げたMicrosoft Excelに対してはOpenOfficeのCalcがあり,高度なマクロを駆使していなければほぼ互換製品として無料でその機能を利用することが可能だ.同一の機能を持っていても(それが特許に抵触しない限りは)作成は自由であること,ユーザインターフェースの差異もユーザの乗り換えコストに含まれることから特定のソフトにねらいを定めた互換品(Alternative)が作られる傾向にある.
翻って(普段音楽を全く聴かない自分が言うのも何だが)音楽でも商用ベースにとらわれずに自由に配布されているものはあるが,基本的にはそれぞれ自分のオリジナリティを発揮したいと考えているのだろう.しかし「◎◎(アーティストor楽曲)好き/話題にしたいリスナーに無料Alternativeを提供する」というアプローチも理論上は可能ではないかと思うのだ.
GNUソフトウェアにはls, mv, cp等UNIX標準で誰もが使うコマンドがある.それ自身は作っても使っても特に面白いソフトではない.しかしFSFのRichard Stallmanは完全性のためにはそのような人目に触れないソフトウェアも必要であることを認識しており,プログラマを雇ってそれらを整備したそうだ.そのおかげで我々はLinuxでlsもmvもcpもできる.
なんか話がそれたが,JASRACが「Share」という形態を認めないなら,Shareを許す楽曲で既存の物を置き換えられないか.そしてその発想はまさにGNUソフトが生まれた時の考えに似ていないか,とふと思ったというわけ.
著作権では作者の死後50年を経過しないとPublic Domainにならないので,例えばユーミンの曲が自由に使えるようになるのは自分の孫の代でも難しい位だろう.そこでユーミンの曲をblogで引き合いに出したいときに権利を気にせず本物の代わりに使える物を用意しても...だめかな?100%同等でなくてもよく使う20%の機能が満たされていればいいです.(でも20%の機能って??)
ただ,ソフトでは表現と機能の境目はある程度明確だが,楽曲で「機能」仕様書に沿った物を作れるのだろうかという疑問はある.オリジナルと異なる表現で同一の効果を出すことも専門家なら可能なのだろうか.この件について救いとなるのは,無料の方は一人で作らなくても別の人が権利を気にせず更に改良を加えることでAlternativeな対象に近づけるべくバージョンアップできる点にある.あくまでも「機能・効用」に重点を置いているのだからバージョンアップも有りだ.
実にばかげた妄想を書いてきたような気もするが,FSFのRichard Stallmanは自由なソフトを作るために大学を退職している.DRMが当たり前となり,コピーできないのが当たり前,街で鼻歌を歌ってもJASRACが料金を徴収しに来るというネタがネタでなくなりそうな時代が忍び寄っている今日この頃,こういう酔狂なことを始める人が世界に一人くらいはいてもおかしくないかもしれない.
ところで,この構造は市販ソフトウェアのかかえる状況と似ているところがある.例えばMicrosoft Excelにいくら感銘を受けたとしても,それを自分のホームページからダウンロードさせるのはライセンス違反だ.ダウンロードと歌詞では違いすぎるというなら,自分のソフトの一部としてMS Excelを配布することを考えてもらえれば多少は近い状況になるだろう.自分の文章の間に楽曲の歌詞を入れることを自分のプログラムの間にMS Excelを入れることに置き換えてイメージしてみて欲しい.
だが幸いなことにソフトウェアでは市販ソフトに近い機能を持つフリーソフトウェアが台頭してきている.例えば上で挙げたMicrosoft Excelに対してはOpenOfficeのCalcがあり,高度なマクロを駆使していなければほぼ互換製品として無料でその機能を利用することが可能だ.同一の機能を持っていても(それが特許に抵触しない限りは)作成は自由であること,ユーザインターフェースの差異もユーザの乗り換えコストに含まれることから特定のソフトにねらいを定めた互換品(Alternative)が作られる傾向にある.
翻って(普段音楽を全く聴かない自分が言うのも何だが)音楽でも商用ベースにとらわれずに自由に配布されているものはあるが,基本的にはそれぞれ自分のオリジナリティを発揮したいと考えているのだろう.しかし「◎◎(アーティストor楽曲)好き/話題にしたいリスナーに無料Alternativeを提供する」というアプローチも理論上は可能ではないかと思うのだ.
GNUソフトウェアにはls, mv, cp等UNIX標準で誰もが使うコマンドがある.それ自身は作っても使っても特に面白いソフトではない.しかしFSFのRichard Stallmanは完全性のためにはそのような人目に触れないソフトウェアも必要であることを認識しており,プログラマを雇ってそれらを整備したそうだ.そのおかげで我々はLinuxでlsもmvもcpもできる.
なんか話がそれたが,JASRACが「Share」という形態を認めないなら,Shareを許す楽曲で既存の物を置き換えられないか.そしてその発想はまさにGNUソフトが生まれた時の考えに似ていないか,とふと思ったというわけ.
著作権では作者の死後50年を経過しないとPublic Domainにならないので,例えばユーミンの曲が自由に使えるようになるのは自分の孫の代でも難しい位だろう.そこでユーミンの曲をblogで引き合いに出したいときに権利を気にせず本物の代わりに使える物を用意しても...だめかな?100%同等でなくてもよく使う20%の機能が満たされていればいいです.(でも20%の機能って??)
ただ,ソフトでは表現と機能の境目はある程度明確だが,楽曲で「機能」仕様書に沿った物を作れるのだろうかという疑問はある.オリジナルと異なる表現で同一の効果を出すことも専門家なら可能なのだろうか.この件について救いとなるのは,無料の方は一人で作らなくても別の人が権利を気にせず更に改良を加えることでAlternativeな対象に近づけるべくバージョンアップできる点にある.あくまでも「機能・効用」に重点を置いているのだからバージョンアップも有りだ.
実にばかげた妄想を書いてきたような気もするが,FSFのRichard Stallmanは自由なソフトを作るために大学を退職している.DRMが当たり前となり,コピーできないのが当たり前,街で鼻歌を歌ってもJASRACが料金を徴収しに来るというネタがネタでなくなりそうな時代が忍び寄っている今日この頃,こういう酔狂なことを始める人が世界に一人くらいはいてもおかしくないかもしれない.
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