妄想礼賛
2009.06.02 Tuesday 22:45
6月といえば桜桃忌.知り合いの三鷹関係者がしきりに太宰を推すのだが,何の感慨も覚えぬままにゆかりの地を歩いても意味がないので,ふと太宰の作品を読んでみようと週末に図書館に行った.今年は太宰治生誕100周年とのことで,図書館の片隅に記念コーナーが作られており,全集が都合良く並べられていたので適当に2冊ばかり借りてみた.
全集なので有名な比較的長めの小説のほかに短編がいくつも入っている.ぱっとみたところ,小説と言うよりもエッセイに近いものが多い感じである.現代であればブログに書くレベルの内容のものも散見される.
しかし,明らかに筆者の体験を書いたものもあれば小説にちかいもの,経験から入って夢想するものなどその形態は様々である.その多様性に感心すると同時に,このような多様な作品を生み出すためには,さまざまな状況をについて日夜妄想を広げる必要がある.そしてその妄想力こそが芸術の神髄のように自分には思われた.
ミヒャエル・エンデの『モモ』でも観光ガイドのジジがその都度様々な作り話を交えて観光客の心をとらえているし,鳥井みゆき演じるマサコの妄想夢芝居も妄想と銘打っているではないか.妄想こそが人生を豊かにするものなのかもしれない,そんな考えが次第に確信へと変わっていった.
だが翻って自分の生活を眺めてみれば,現実の問題に頭を悩ませた後はいんたあねっとに張り付いて情報をむさぼり食うのみで,大地を離れて大空を舞う妄想とは これっぽっちも関わりがない.ああ,これからも大地に縛り付けられ,地面を見続けたまま人生を歩み続けるのだ.
そう考えたら無性に恐怖を感じた.
ひょっとして,これは被害妄想なのだろうか.
しかし,明らかに筆者の体験を書いたものもあれば小説にちかいもの,経験から入って夢想するものなどその形態は様々である.その多様性に感心すると同時に,このような多様な作品を生み出すためには,さまざまな状況をについて日夜妄想を広げる必要がある.そしてその妄想力こそが芸術の神髄のように自分には思われた.
ミヒャエル・エンデの『モモ』でも観光ガイドのジジがその都度様々な作り話を交えて観光客の心をとらえているし,鳥井みゆき演じるマサコの妄想夢芝居も妄想と銘打っているではないか.妄想こそが人生を豊かにするものなのかもしれない,そんな考えが次第に確信へと変わっていった.
だが翻って自分の生活を眺めてみれば,現実の問題に頭を悩ませた後はいんたあねっとに張り付いて情報をむさぼり食うのみで,大地を離れて大空を舞う妄想とは これっぽっちも関わりがない.ああ,これからも大地に縛り付けられ,地面を見続けたまま人生を歩み続けるのだ.
そう考えたら無性に恐怖を感じた.
ひょっとして,これは被害妄想なのだろうか.
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